モスクワから370キロほど北東に位置する古都コストラマへは年数回短い夏と長い冬の期間訪問することがあり、夏は最高気温20度、冬は最低気温30度と夏にしか訪れたくない場所なのだが、このコストラマという古都、すっかり近くの都市ヤロスラブリ、工業都市ロストフと流出してしまい今ではロシアの田舎町という位置付けになってしまったが、この街大河であるヴォルガ川とコストロマ川の交わる地点にあり田舎ながら非常に魅力のある街でもある。
ロケーション
首都モスクワから北東370キロほどの場所にあり、移動は
空路:コストロマ近郊にあるコストロマ空港は1日1便モスクワからもしくはヤロスラブリ空港利用
鉄道:シベリア鉄道が通っており、23時コストロマ発でモスクワ到着翌05:30分着
陸路:バスもしくは車 モスクワから100キロほどは高速があるがその先はほとんどが地道
結局陸路が一番安全で早くそれでも道に雪がついていなければ5時間ほど、雪道だと8時間の道のりである
google mapからの航空写真でも分かる通り、川を挟んで南北に広がっており、街の中心部、商業の中心部は北側にある
小都市コストロマからみるロシアのミクロ経済
歴史的にも長く、古くは1200年代まで遡り、当時モンゴル帝国からの侵略とその後ポーランド王国からの侵略と占領を経てロマノフ朝の特別な保護区域に指定され、エカチェリーナ2世の指導のもと修道院が建設され、街もその当時再建整備され今でもこの美しい修道院は機能している。
商業は当地付近で伐採される優秀な木材を利用しての木材業の他、宝石加工業が有名。とにかくロシア国内で取引されている宝石完成品の60%以上はここコストラマ地方で加工されたものであるという。なぜ宝石加工業がこの地で有名になったのかは不明であるが、ソ連時代からこの地は宝石加工地とし君臨していた。特にロシアンレッドと言われる14金赤色の金の加工はこの街の特色でもある。
2000年初頭からこの街を訪れているのだが、こんな小さな街でも周辺国からの労働者で溢れかえっている。
レストランはウクライナ人、工事現場や道路のインフラはタタールもしくはウズべキス、トルクメニスタン人がほとんどで、20年前にはロシア人しかいなかったこの街でも外国人労働者が溢れかえり、この外国人労働者が労働現場を支えている状況になっていることに驚きを隠せない。
またロシアにはこのような地産地消ビジネスが小都市を含め多々あり、それらがロシア経済を支えており、それには国際取引が少ない分数年前のルーブルの暴落のショックはモスクワや大都市ではあったもののこのような衛星都市や小規模都市での影響は最小限で、ここにロシア経済の底力というものを見ることができる
ロシアルーブルは対日本円でここ5年でかなり下がっているが、その前10年スパンで考えると3.0→1.5と大きく下落している
このようにルーブルは国際的に4−5年前大きくハードカレンシーから下落をし、ロシアバブルは崩壊し大打撃を被ったが、モスクワやその他の大都市だけではなく、小規模都市を全てトータルに考えるとさすが資源大国ロシア経済の強さを身にしみて感じる
またこの良質な木材を使って河川貿易も現役であり、ウラル山脈から西のほぼ全域に売られており、宝石加工業はモスクワを中心として西はサンクトペテルブルグから東はウラジオストクまでロシア国内全域に売られている。また近郊のロストフは重工業の町としてロシアでも有数の自動車メーカーが工場を構えるほか大規模石油精製工場なども有し、地域の工業化をになっている。
このように大都市だけでなく中都市、小都市も地場経済がなんだかんだ回っているところがロシアのすごいところでもある。
観光
観光に関しては世界遺産にも登録されているヤロスラブリなどに観光業は取られているが、エカチェリーナが建造した修道院や神現聖堂など見所もあり、そしてなぜかサンタクロースの姪っ子が建てたという建物があり現在はホテルになっている
このサンタクロースの姪っ子が建てた建物の跡地にあるホテルは定宿としているが何がサンタクロースの姪っ子なのかは今だに不明。。。。
定宿にしているサンタクロースの姪っ子が建てた建物の跡地にあるシュネグロー力ホテル
部屋はいたってシンプルで
ロシアのホテル。どのレベルのホテルに宿泊しても冬は茶色い水が流れるバスルーム。このホテルももれなく最初の10分は茶色の水がわんさか出ます。
2階建ての小さなホテルの窓から見る景色。遮るものは少なく、中世にタイムスリップしたよう
1652年建造の神現聖堂の裏口から
雪がなければこのような一本道を大疾走できるのもロシアドライブの醍醐味です
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